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2009年1月アーカイブ

私の病気、先天性脳性小児マヒにも3種類ほどの障がいのタイプがあります。アテトーゼ型・緊張型・複合型です。また脳性マヒには重複障がいといって、知的な障がいも併発している人もいます。私はアテトーゼ型なのですが、どの型の脳性マヒにも共通して現れる経年変化に、二次障がいというものがあります。

脳性マヒは決して進行性の病気ではないのですが、体の老化現象が早く、早い人で20代から二次障がいの症状が出てきます。主な症状としては股関節症と頸椎症です。私も8年ほど前までは足に補装具を履いて歩いていたのですが、股関節と頸椎が痛くなり、専門の病院に行ったところ「これは二次障がいでこのまま無理して歩いていると手足が痺れてきて、寝たきりの状態になるよ」と診断されて、即座に〈電動車いすに乗ろう〉と決心しました。

私たち世代の障がい者の中には、せっかくリハビリによって歩行が出来るようになったのだから...と、二次障がいの症状が現れても、車いすを使うことがまるで恥ずかしいことのように感じて、無理を重ねて症状を悪化させてしまう人もいますが、私は歩けていた時から自分はいずれ歩けなくなる時が来るだろうと思っていましたので、専門医に診断された時に〈いよいよ、その時が来たか...〉という感じでした。

現在は二ヶ月に一度の診察と投薬治療のおかげで股関節にも頸椎にも痛みはないのですが、4年ほど前に根を詰めたPC仕事をしていて、頸椎症を悪化させてしまったことがありました。その時はもう首を動かす度に激痛が走り、寝て起き上がるにも、食事をするにも、何をするにも苦痛でした。

障がいをもっている人たちは、障がいをもたない人たちと同じようか、その倍も頑張らないといけないように思いがちです。その気持ちは大切なのですが、どうしても体が、体力が、頑張ろうと思う気持ちに付いていけません。それでも無理をしてでも頑張ろうとする...。私もそうでした。せっかくNPOから与えられたHP制作という仕事を、早く仕上げたい! と思い、根を詰めて作業した挙げ句、頸椎症を悪化させてしまったのです。

無理をする必要は全くないんですね。障がいをもっていようが、もつまいが、そんなことは関係がない。誰もが自分らしくあり続けられる生き方、自分にあった働き方をみつけることが一番よいのではないかと思います。

それには自分のキャパを知らなければいけないのでしょう。自分には何が出来て、何が出来ないのか? 自分はどこまで出来るのか...? 出来ないことでも、サポートがあればできるのか、それでも難しいのか...? 

現在障がい者の就労支援ばかりではなく、若い人たちへのキャリアカウンセラーの必要性が求められていますが、障がいがあってもなくても、就労支援で一番大切なことは〈自分を知る〉ことではないでしょうか?

 

NPOの事務局スタッフとして週に2日?3日、地元の私鉄の駅から電車と地下鉄を乗り継いで職場に通っている私ですが、地下鉄のエレベーターについて思うことがあります。別に地下鉄でなくてもよいのですが、私の場合そういう場面に出会うことが圧倒的に地下鉄のエレベーターでのことが多いので...。

チェアウォーカーが電車に乗り降りする場合、乗車する駅でお願いしておけば降車する駅のホームに駅員さんが待っていて、簡易スロープを電車とホームとの間に渡してくれます。そうして電車を降りたチェアウォーカーは、今度はエレベーターでホームから改札階に上がり、改札階からまたエレベーターを使って地上に出ることになるのです。しかし、これは一般的な構造の駅の場合で、その駅の立地条件の問題なのか、乗り換え路線が乗り入れているためなのかもっと複雑な構造になっていて、地下鉄の電車を降りて地上に出るまで相当に時間がかかることもあります。

名古屋市交通局も徐々にバリアフリー化に向けた工事をしているようですが、旧い路線になりますと未だにエレベーターがなく、車いす対応エスカレーターがあればよい方で、階段しかない駅もあります。エレベーターがあっても障がいのない人たちが我先に乗ってしまい、私たちチェアウォーカーが乗り込めない場合もままあるのです。エレベーターからさほど遠くないところに、階段もエスカレーターもあるのに...。エレベーターの扉の側には〈高齢者や車いす優先〉とわざわざ張り紙までしてあるのに...。

私は、なにも健康な人はエレベーターに乗るな! と言いたいわけではありません。障がいのない健康な人でも疲れている時もあるでしょう。健康そうにみえていても、心臓が悪くてペースメーカーをつけている人もいるでしょうし、足や腰を痛めている場合や、妊婦さんや、ベビーバギーを押しているお母さん、または重い荷物をさげていて階段を上るのが辛い人もいるでしょう。それに公共交通機関のエレベーターは誰が使用してもよいのです。

しかし、ちょっと考えてみて下さい。チェアウォーカーが自力で垂直異動する場合、エレベーター以外にその手段がないのです。その唯一の手段であるエレベーターに乗り込もうとして、健康と思わしき人たちがいっぱいで乗れず、目の前で扉が閉まって上昇してゆくエレベーターを見送らねばならない時の淋しさといったらありません。エレベーターがまた降りてくるのを待てばよいと思われるでしょうが、急いでいる時に限ってそういう場面に遭遇します。

しかし、嬉しいことに最近そういう場面で若い人たち、特に中学生か高校生ぐらいの人たちがエレベーターから降りて、「エスカレーターで行こうぜ」とか言いながら、さりげなく私に箱に乗る権利を譲ってくれることが多くなりました。学校での福祉教育の賜物でしょうか?

日本も、まだまだ捨てたものではありませんね!

 

忘れ得ぬ人々 2

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私がまだ高校生だった頃、養護学校の私のいたクラスに一ヶ月間、学校の先生を目指す教育学部のある大学から、教育実習の学生さんが来ていました。普通教育実習の期間は二週間のところが多いのですが、この人はその倍の四週間も先生の卵として教鞭を執られておられたのです。

その方(ここではAさんとしておきます)は、現代国語が担当科目だったので、文学青年だった私と必然的によく話すようになり、生徒会やクラブ活動のない日の放課後など教室に残っては、文学の話や将来の話、恋愛の悩み等々、飽きもせず話していたものでした。

私が将来的に文章を書いて生きて行きたい...という希望を伝えたところ、Aさんからこんなアドバイスをもらいました。「きみの書く文章にはところどころにキラリと光るものが感じられるけれど、まだまだ力みがあったり、難しい漢字を使いたがったり、無理して書いているところも感じられる。将来的に文章を書いて行きたいのならば、自分の中に引き出しをいっぱいもつことが大切だと思う。そのためにはもっと本を読み、いろいろな経験をして、自分の世界を広げ、それと同時に自分を深く掘り下げてゆくんだよ。そうすればきみのことだから、いつまでも書き続けられると思う」

Aさんの言葉を私なりに解釈するなら、人間的な幅をもつことが大切だと言うことででしょう。そしてこれは文章を書き続けるだめばかりではなく、ひととして生きてゆくために必要なことを、Aさんは教えてくれようとしたのではないかと思います。

ひとつのものや事柄を視る時には、必ず一方向からではなく多方向からの視点で視ること。周りの人や物事を注意深く視ること。思考する時の柔軟性。経験は決して裏切らないこと。何に対しても好奇心を向けること等々...。それらはいまでも私が生きてゆく上での指針になっています。

Aさんはその後大学を卒業して、教員試験にも合格し、養護学校教諭の道を選ばずに地元の中学校の先生になりました。一時期、南米の日本人学校へ転任していましたが、現在はまた地元に戻り、先生を続けているそうです。

 

 

 

ジネンカフェ

私がNPO法人まちの縁側育くみ隊で担当している〈ジネンカフェ〉の〈ジネン〉を漢字で表すと、〈自然〉つまり〈あるがまま〉とか〈ありのまま〉という意味です。

障がいを持っている人たちが、持っていない人たちと同じ生活条件で、自分らしく生きられる社会理念のことをノーマライゼーションと呼びますが、現代の競争原理や生産性、効率性重視の社会風潮の中では、障がいを持っている人たちのみならず、持っていない人たちも自分らしい生き方が出来なくなっているのではないでしょうか? むしろ障がいを持っている方たちの方が自分に与えられたものをあるがままに受け入れ、自分らしい生き方をされている方が多い。その方たちから自分らしい生き方を学ぼう...。

障がいの有無に関わらず、人が自分らしく生きてゆくには3つの柱が必要でしょう。

個人の意識の変容
まちの中の居場所
社会全体の意識の変革

一足跳びに社会を変革させるのは難しい。しかし、ひとりひとりの意識が変容することによって、その地域全体、強いては社会全体の意識も変革させてゆきたい...。

そんな発想の下、名古屋市昭和区のNPO法人くれよんBOXさんと、緑区の任意団体かたひらかたろうさんとの協働で、平成19年1月から毎月一度、障がいをもちながらも自分らしく生きている方や、支援者の方をゲストにお招きをして、その方の生き方をお茶を飲みながら聴くという機会を作っています。

会場は、バリアフリー調査や福祉情報の発信といういつもの姿とは異なり、ゆったりとした時間が流れるCAFE空間に変身するくれよんBOXさんや、まちの縁側育くみ隊が運営する、地域に開かれた〈まちの縁側MOMO〉。そして1年に1度、拡大版と称して大きな会議室を借りて行っています。

つい先日、「VOL.023&新年会(鍋パーティー)を行いました。

来月8日には、3年目の拡大版を名古屋市総合社会福祉会館で行います。くれよんCAFEの軽食を食べながら、シンガーソングライター・ふるもとゆうこさんのミニライブあり、ゲストの戸枝陽基氏の講演あり、障がい者と地域との関係を探るワークショップありと盛りだくさんの内容で展開します。しかし、残念ながらもう定員に達してしまい、受付は終了致しました。

いまは2月8日に向けて、準備に追われているところです。

ジネンカフェだより   http://blog.goo.ne.jp/jinencafe/   

 

NPO法人の理事になり、事務局スタッフになったものの、発足当時私の仕事はほとんどありませんでした。若い事務局員がいましたし、それまで一緒に活動をしてきた仲間ではあっても、障がいをもっている私に何が出来て、何が出来ないのか、解らなかったのでしょう。それでも文章を紡ぐことが得意だということは仲間たち全員が知っていましたので、NPOの情報誌のコラム欄を担当することになり、これはいまでも続いています。

しかし、ただそれだけのために、当時交通事情があまり芳しくなかった地元から名古屋に通勤するのは、精神的にも経済的にも辛いものがありました。ある人から「大久保さんはそこにいるだけでよいから...」と言われました。本人は悪気があって言ったわけではない。私に対する一種の褒め言葉として言ってくれたのはよく解っているのですが、その言葉は決して障がいのある人に向けて使って欲しくない言葉のひとつでして、「そこにいるだけでよい」ならば、「そこにいなくてもよい」わけで、自分が本当に必要とされているのか、自分の何が必要とされているのか解らないわけですね。またもや私の心中の葛藤が始まりました。〈このまま理事を続けるべきか、辞めるべきか...〉

しかし、それと相前後してNPOのHPを立ち上げることになり、私が風穴一座のHPを作成した経験を買われて担当することになりました。しかし、まだ私の心は揺れていました。そんなある時、私をNPOに誘ってくれたTさんがこんなことを言ってくれたのです。

「大久保さん、理事を辞めたいならば辞めてもよいと思うけれど、自分がやりたいことをやってから辞めても遅くはないんじゃない?」

その言葉は私の中の迷いを吹っ切ってくれました。そうなのです! 市民活動とは本来自分がしたいことをする活動で、決して誰かから頼まれたからするという類のものではない筈です。NPO法人は自主企画だけでは運営して行けませんので、行政からの委託を受けたりするのですが、それまでの私はまるで委託されるのを待っている〈受け身の姿勢〉だったのです。したいことはあっても、それが果たして他の理事さんの賛同を得られるのかどうか、いまいちよく解らないまま、自分からは動かずにウジウジしていたわけですね。

この提案が通らなかったらNPOの理事を降りる決意である時の理事会で〈ノーマライゼーションプロジェクト〉の立ち上げを提案したのです。拍子抜けするぐらいすんなりと賛同を得られ、言い出しっぺの私が〈ノーマライゼーションプロジェクト〉を担当することになったのです。嬉しかったですね...。

サン・デクジュベリの『星の王子さま』ではありませんが、障がいの有無に限らず、人と人がお互いに理解しあうには、それなりの時間が必要でしょう。障がいのある人とない人の間にもそれは言えます。ゆっくりと時間をかけてお互いの本音をぶつけあって、徐々に理解してゆけばよいと思うのです。

私が担当している「ジネンカフェ」のお話は、また次の機会に...。

 

 

 

風穴一座の活動を始めて3年目ぐらいだったでしょうか? 一座のメンバーでもあるTさんから「今度一宮でお宮さんの前のひろばを住民参加型でつくるワークショップを行うんたけど、バリアフリーの視点も必要だし、大久保さんに引き合わせたい人がいるから来てくれない?」と誘われ、当時一宮に友人が住んでいましたので、その友人に会いに行きがてら一宮のワークショップに参加しました。

そこで、当時千葉大学工学部都市環境システム学科の教授だった延藤安弘先生と出会ったのです。延藤先生のことは、以前からTさんを通して話には聴いていましたが、実際にお会いするのはこれが初めてでした。Tさんがどうして私に延藤先生と引き合わせようとしたのか未だに謎ですが、私の延藤先生の第一印象は「関西弁でよく喋るおもろいおっちゃんやなあ?」というものでした。

延藤先生は行政側と住民側との間を繋ぐコーディネーターとして、Tさんも先生をサポートする世話人のひとりとしてこの一宮のワークショップに関わっておられたのですが、名古屋市東区にある橦木館活用プロジェクトにも関わっており、私も必然的にどちらにも関わることになりました。加えて一宮の市民団体、尾張ひとまちネットの代表にも声をかけられ、バリアフリーを題材にした紙芝居の原作を3作書くことになり、会員になりました。

一宮のワークショップが終了し、造作のための工事が始まって、それと前後して橦木館での活動も一区切りを付けることになった頃でした。またまたTさんから「今度延藤先生が代表となってNPOを立ち上げるんだけど、福祉の視点も必要だから大久保さんも理事になってくれない?」と誘われたのです。その頃の私は〈NPOってなんだ?〉と思っておりましたが、市民活動をする団体だろうと漠然と思っていました。

やがて一宮のワークショップで世話人をした人たちや、橦木館で活動していた人たちの有志が理事や会員に名を連ね、2003年1月にNPO法人まちの縁側育くみ隊が産声をあげ、5月に正式に認証を受けたのでした。

NPO法人まちの縁側育くみ隊がなにをしている市民団体なのか...興味をお持ちの方はHPをご覧下さい。このHPは現在、私がNPOから委託料をもらって維持・管理をしています。

NPO法人まちの縁側育くみ隊HP:http://www.engawa.ne.jp/

 

 

忘れ得ぬ人々...

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新年あけましておめでとうございます!taurus 100年に1度と云われる世界経済の崩壊を受けまして、派遣切りだの、内定取り消しだの、大量リストラだの、雇用や労働を巡る企業の動向や、日本全体を覆う悲壮感、閉塞感には尋常ならざるものがあります。そんな中、障がいのある人たちの雇用も減速して行ってしまうのではないだろうか...と懸念しております。

障がいのある人が働きたい! 市民活動がしたい! と思っても、社会にそれを受け入れるだけの余裕や受け皿がなければ、その人の想いは宙に浮いたままになってしまいます。

私もそうでした。養護学校や職業訓練校を卒業しても、どこも雇用してくれるところがありません。いまから思えばそれも無理もないことでした。当時は私のような重度障がい者が一般企業や事業所に勤めるのは珍しい時代でした。しかし、私にも人並みな夢がありました。幼い時から障がいのない人たちと異なる学校にゆき、生活をしてきた私は、大人になったら普通に就職して、普通にお金を稼いで、普通に恋愛をして、普通に結婚をして家庭を築きたいと思っていました。

しかし、職安に通っても就職口がないという現実を突きつけられ、私は動揺し、どうしたらよいのか解らなくなっていました。前の記事にも書いたように福祉作業所や授産施設に通うという選択肢もあったかも知れませんが、やはり私は印刷屋さんでなくてもよいけれど、きちんと賃金がもらえて生活がしてゆけるところに勤めたかったのです。当時何も一人前に出来なかったのに、身の程知らずと言いましょうか、若気の至りとでも言いましょうか...。

煮詰まった時には、普段思いもよらないことが脳裏を過ぎるものです。〈この世に生まれてきて、何も成さずにただ生きている、これからも生きて行かねばならない。本当にこのまま生きていてもよいのかな? 私が生き続けていて何の価値があるんだろう...?〉いま振り返ってみれば、これまでの人生の中であの頃が一番苦しい時期でしたね。両親や家族もそんな私に何のアドバイスもしてくれませんでした。はじめから私が就職が出来るとは思っていなかったようです。

そんな時、養護学校時代の寄宿舎の寮母さんから電話がかかってきたのです。寮母さんとは云っても短大を卒業したばかりの年齢で、私と5歳しか違わない、母というより姉のような存在の人でした。私の苦境を友人を通じて聞いたのでしょう。次のような言葉で励ましてくれたのです。

「あなたは駄目な人間ではない。あなたにはものを感じてそれを文章にして表現できる能力があるじゃない! それって誰もができることではないのよ。あなたにしか感じられないもの、あなただからこそ感じられること、それはあなたにしか表現できないことなのよ」

自分の感性をそんなふうに認められたことって、はじめてでした。私は、障がいのない人たちと同じことをして、同じような生活を送りたいと思っていました。でも、それは自分の人生を社会通念上の〈労働〉というものや〈生活スタイル〉と照らし合わせて真似したいと思っているのと一緒でした。私はその人の言葉によって、それらの観念から解放され、自分らしく生きることの大切さに気づかされたのでした。それで私の問題が解決したわけではありませんが、切迫していた気分が幾分軽くなったのも確かです。

 

プロフィール

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  • 大久保康雄
  • 脳性マヒでチェアウォーカーながら、ある時は小学校?高校の福祉の〈総合的な学習の時間〉や、実践教室の講師。ある時はライター、またある時は紙芝居「風穴一座」の座長。そしてまたある時はNPO法人まちの縁側育くみ隊の理事。多様な顔を持ちつつ、様々な形のまち育て活動を通してやさしさの種まき作業に関わっています。
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