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地下鉄のエレベーターで思うこと

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NPOの事務局スタッフとして週に2日?3日、地元の私鉄の駅から電車と地下鉄を乗り継いで職場に通っている私ですが、地下鉄のエレベーターについて思うことがあります。別に地下鉄でなくてもよいのですが、私の場合そういう場面に出会うことが圧倒的に地下鉄のエレベーターでのことが多いので...。

チェアウォーカーが電車に乗り降りする場合、乗車する駅でお願いしておけば降車する駅のホームに駅員さんが待っていて、簡易スロープを電車とホームとの間に渡してくれます。そうして電車を降りたチェアウォーカーは、今度はエレベーターでホームから改札階に上がり、改札階からまたエレベーターを使って地上に出ることになるのです。しかし、これは一般的な構造の駅の場合で、その駅の立地条件の問題なのか、乗り換え路線が乗り入れているためなのかもっと複雑な構造になっていて、地下鉄の電車を降りて地上に出るまで相当に時間がかかることもあります。

名古屋市交通局も徐々にバリアフリー化に向けた工事をしているようですが、旧い路線になりますと未だにエレベーターがなく、車いす対応エスカレーターがあればよい方で、階段しかない駅もあります。エレベーターがあっても障がいのない人たちが我先に乗ってしまい、私たちチェアウォーカーが乗り込めない場合もままあるのです。エレベーターからさほど遠くないところに、階段もエスカレーターもあるのに...。エレベーターの扉の側には〈高齢者や車いす優先〉とわざわざ張り紙までしてあるのに...。

私は、なにも健康な人はエレベーターに乗るな! と言いたいわけではありません。障がいのない健康な人でも疲れている時もあるでしょう。健康そうにみえていても、心臓が悪くてペースメーカーをつけている人もいるでしょうし、足や腰を痛めている場合や、妊婦さんや、ベビーバギーを押しているお母さん、または重い荷物をさげていて階段を上るのが辛い人もいるでしょう。それに公共交通機関のエレベーターは誰が使用してもよいのです。

しかし、ちょっと考えてみて下さい。チェアウォーカーが自力で垂直異動する場合、エレベーター以外にその手段がないのです。その唯一の手段であるエレベーターに乗り込もうとして、健康と思わしき人たちがいっぱいで乗れず、目の前で扉が閉まって上昇してゆくエレベーターを見送らねばならない時の淋しさといったらありません。エレベーターがまた降りてくるのを待てばよいと思われるでしょうが、急いでいる時に限ってそういう場面に遭遇します。

しかし、嬉しいことに最近そういう場面で若い人たち、特に中学生か高校生ぐらいの人たちがエレベーターから降りて、「エスカレーターで行こうぜ」とか言いながら、さりげなく私に箱に乗る権利を譲ってくれることが多くなりました。学校での福祉教育の賜物でしょうか?

日本も、まだまだ捨てたものではありませんね!

 

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こんにちは。はじめまして。
今日、ネット内を検索していてこのブログに行き着きました。
わたしも車椅子を使っていますが(歩けるときもありますが)よくこういう場面に出合います。

多くの人がエレベーターを使って負担を減らすことはいいことなのでしょうけれど、車椅子使用者やベビーカーを連れているにとって困ってしまう場面もありますよね。
そう!若い人で気がついてくれる人も、けっこういますよね。
日本の未来が頼もしく思えるようなことに出合えると、ほっこり幸せな気持ちになります。

こんにちは。はじめまして。
今日、ネット内を検索していてこのブログに行き着きました。
わたしも車椅子を使っていますが(歩けるときもありますが)よくこういう場面に出合います。

多くの人がエレベーターを使って負担を減らすことはいいことなのでしょうけれど、車椅子使用者やベビーカーを連れているにとって困ってしまう場面もありますよね。
そう!若い人で気がついてくれる人も、けっこういますよね。
日本の未来が頼もしく思えるようなことに出合えると、ほっこり幸せな気持ちになります。

あゆさん、こんにちは。返信が遅くなり、ごめんなさい。最近のエレベーターは割とスペースを広めに造られていますが、古い地下鉄のエレベーターになると狭いですよね。速度もゆっくりだし…。健康な人ならエスカレーターを利用した方が早いと思うのです。私は急いでいない限り、エレベーターの順番は先にエレベーターの前にいた人から使用してくれるように譲ることがあります。最近は若い学生さんばかりではなく、ベビーバギーを押した若いお母さんまで、エレベーターの順番を譲ってくれることが多くなりましたね。その時は申し訳ない気持ちになります。

そうですよ。日本はまだまだ捨てたものではないのです。

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プロフィール

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  • 大久保康雄
  • 脳性マヒでチェアウォーカーながら、ある時は小学校?高校の福祉の〈総合的な学習の時間〉や、実践教室の講師。ある時はライター、またある時は紙芝居「風穴一座」の座長。そしてまたある時はNPO法人まちの縁側育くみ隊の理事。多様な顔を持ちつつ、様々な形のまち育て活動を通してやさしさの種まき作業に関わっています。
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このページは、大久保康雄が2009年1月24日 21:10に書いたブログ記事です。

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