A案可決から1ヶ月・・。
この間、長期脳死のお子さんを持つ親御さんと交流する機会も度々あり、メッセージを頂いたりもしました。この法案が決まってから、少なからず・・、やはり思っていた通り、
「命とは何なのか」たくさんの葛藤をされ、そして、肩身に狭い思いで、過ごされてこられた・・事を打ち明けてくれる方が多く、お気持ちを察すると、とても悲しく憤りを感じます。
私たちは、社会的弱者でも何でもないです。
障がいのある子は、人目を憚り、ひっそりと生きるべきなのでしょうか?
ひっそりと生きる事で、穏やかな日常が、小さな幸せが守られるなら、それも一つの、かけがえのない幸せな生き方です。
でも私には、そんな生き方が出来るわけないじゃない(笑)
私たちは、社会的弱者でも何でもない。
意見を言えない弱い立場でも、肩身を狭くして生きてるわけではない。
後ろめたい事は、何一つない。
堂々と。
生きてます。
前を向いて、発信し続ける事で、何かが、変わるんです。
少なくとも。
そう、信じてます。
脳死判定についての記事は、ずっと本館ブログの方で書いてきました。
救われる命が増えるという喜ぶべき現状と、一方で、待たれる命がある、追い込まれる家族がいる現状を、両方のご家族のことを思うと、引き裂かれる思いがしていました。
また同時に、臓器移植は、いつ自分の家族に、自分自身にふりかかるか分からない、大切な問題です。その時どうするか。健康で幸せに暮らしている家族がいる、今だからこそ、考えておかなければいけない現実ではないでしょうか。
脳死判定についての記事を書きながら、たくさんの方からコメントを頂きながら、こちらのブログにも同じ記事を更新すべきか、ずっと悩んでいました。
色んな立場の方が多くご覧になるであろうこちらのブログに、さらに厚生労働省委託事業となっている中、脳死判定について書く勇気がなく、自分の弱さも感じ・・、だから何となく、このブログ自体への更新も、長期に渡り、出来ずにいました。
判定から1ヶ月経った今、この1ヶ月間の当事者ご家族のお気持ちを色々お聞きになって、まるで命を否定されたかのように、辛い気持ちで過ごされてきたご家族がいらっしゃる事を、やっぱりどうしても、そんな社会は可笑しいし、あってはならないんじゃないか。
気持ちが溢れるまま、上記の記事を、書きました。
これをきっかけに、A案可決の関して思った事を今まで本館ブログで書いてきた記事を、こちらにもまとめて掲載させて頂きます。
本当に難しい問題で、答えなんか出ない。何の解決にもならない記事ですが、何の問題提起にもならない、ただただ気持ちを綴っただけの記事ですが、結局は、何度書いても、書いてる事は同じ。そんな記事の羅列ですが、私自身もしっかりと、自分の気持ちを記録しておきたいので、過去記事をリンク(一部引用)させて頂きます。
一方的に私の気持ちを綴る事で、どなたかを、悲しませたり、傷つけたりしてしまうことも、あるかもしれません。
その時は、・・ごめんなさい。
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「A案可決で思う事。」(7月14日ブログ記事)
A案可決です。
※今までこの法案について書いた過去記事。
「脳死は人の死ですか?」
http://blogs.dion.ne.jp/kantarou26/archives/8488843.html
「昨日の記事「脳死」のつづき1」
http://blogs.dion.ne.jp/kantarou26/archives/8491435.html
「昨日の記事「脳死」のつづき2」
http://blogs.dion.ne.jp/kantarou26/archives/8491437.html
「人の死」を法律で決められる事への憤りや、国内での移植の道が拓かれた事へ安堵されたご家族がおられる一方、待たれる側のご家族がいる事を思うと、耐え難い思いです。
例え、脳死=「人の死」と判定されても、温かい肌のぬくもり、爪も髪も伸びる‥
"生きている"、そんな愛する我が子を目の前に、「死」と、思えますか?
可決にあたり、考えなくてはならない事。
これは、誰でも起こり得るのです。
その時は、突然やって来ます。
今ある形で、当たり前に生きてる私も、家族も、あなたも、あなたの家族も、いつ何時、この決断を責められるか分からない。
誰かの体の中で、臓器だけでも、生きてほしい。。
そう思えますか?
その時、後悔しない決断が出来るように、
その時の決断を、一生背負って生きていく覚悟が出来るように、
決して他人事ではなく、
これは、いつ身に起きてもおかしくない事で、
その時に納得のいく決断が出来るように、きちんと、自分の意志表示を、考えを持っておくべきなんだと、思います。
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それと同時に、脳死=「人の死」と、一律に決められてしまった事で、
今現在も、長期脳死のお子さんを持つご家族が、
普通に当たり前に、日々"生きてる"ことの幸せを噛みしめながら、
同じように我が子を愛しながら、穏やかに幸せに暮らしている事を、誰からも、脅かされる事なく。
愛する我が子が脳死判定を受けて、臓器提供を拒否した場合も。
この暮らしを、この幸せを、
今まさに"生きてる"命を、
"生きよう"としている命の鼓動を、
提供をしない決断を、
誰からも、決して、否定される事なく、精神的重圧をかけられる事なく、最新で最善の医療を、全ての人に、平等に尽くされる事を、切実に、強く、願います。
否定される命なんて、ないんだよ。
全ての命が、尊くて、美しい。
命の愛しさを。
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「否定される命があってはならない」(2009年7月15日ブログ記事)
脳死=「人の死」と決められ、脳死状態にある家族を、生きていることを否定されたように感じてられるご家族も、いらっしゃいます。
これを、「生きる事を否定された命」と捉えるなら、「出生前診断と似てるね」と、コメントをくれた友達が居ました。
ダウン症は、妊娠中の出生前診断で分かるようになり、診断の結果、生まない選択をする方もいらっしゃいます。
消されてしまう命がある事は、正直、沈痛な思いですが、色んな事情がある中での、決断です。
「ダウン症だと判り、生むべきか悩んでいる」といった相談が私の元にも来ます。沢山お話した結果、生まない選択をされたご家族も、いらっしゃいます。
どんな決断をされても、決して後悔はしてほしくない。
ご自身で決めた決断が、"最良"だったと言いたい。
なのに「なんで検査しなかったの?」と当然のように聞く方が居たり、診断をしなかった病院を非難した身内も居ます。
ダウン症だと判ってたら、生まれてこない方が良かった。ってこと?
目の前に存在する、愛しくて可愛い命。
私、幸せです。
命の存在を否定するかのような言葉が、当たり前に出てくる社会は、あってはならないと思う。