私を育ててくれた、祖父母は明治生まれで「頑固なオジイ」と
「働き者のオバア」でした。
私が生まれてまもなく離婚した両親に代わって、祖父母の戸籍に入れて
末っ子として育ててくれました。
オジイは戦争中は、商船に乗っていたということで戦場には行きませんでしたが、
物資輸送中に魚雷が当たって海の底に投げ出され、あやうく命を落とすところだったそうです。
運よく助かったオジイは、船を降りた後は散髪や大工と畑仕事をこなしていました。
唯一の楽しみは、仕事が終わった後の泡盛。。。。
たまに、残ったご飯で「濁酒」を造って、お砂糖を入れたものを飲まされた事があります。
私が酒が強いのは、オジイの濁酒に鍛えられたのかもしれません(笑)
器用なオジイは、私の散髪や勉強机・椅子造り、夏休みの工作?
何でもやってくれました。
そして、食事の時は魚の骨を綺麗に取り除き、ミカンは皮を綺麗にむいて食べさせてくれたり
お肉は、脂身は自分が食べて赤身は私に食べさせるという程の可愛がり用でした。
その反面、オジイのお父さんが教師だった事もあって、躾けに関してはとても厳しい人でした。
行儀作法、言葉使いに関しては目が光って「鬼」と感じる程に厳しく躾けられました。
おかげで叔父・叔母や母も含め私達家族は、宮古の方言は聞き取る事が出来ても
話す事が出来ません。
オジイは、方言しか話せないでいると大人になって恥ずかしい思いをするし、嫁に行くときも
苦労するから、ちゃんとした日本語を話しなさいと常に言って聞かされていました。
高校を卒業して宮古島を離れて就職した時に、改めてオジイに育てられて良かったと実感しました。
沖縄から本土へ就職した人達の殆どが、言葉の壁で大変苦労したそうです。
叔父や叔母もオジイの厳しい躾けのおかげで、就職先での言葉の苦労は無かったと
感謝していました。
又、オジイは部落で子供が生まれると命名をお願いされたり、書道が得意なので
自治会や学校から賞状等を書いてほしいとお願いされたりで、部落では有名な
オジイでした。
そんなオジイが私は大好きで、いつでもどこでも後をついて回りました。
そして、部落でアチコチからお祝いの席に呼ばれる事も多く、
オジイが大好きなお酒を飲みすぎないようにと、オバアは必ずといっていいほど、
私をお供につけました。
私が一緒に行けば、遅くまで飲む事もないし、途中、寝てしまった私を
負ぶって帰らなくてはいけないので、飲みすぎることもありません。
さすが、明治生まれのオバアです。
亭主関白のようにみせて、しっかりと操縦していました。
そんな私とオジイは一心同体。。。
私の中に、オジイのいない世界は考えられませんでした。
14年前に91歳で他界してしまいましたが、今でも心の中にしっかりと
オジイは生きています。
オジイとオバアに育ててもらった事をとても感謝しています。


「働き者のオバア」でした。
私が生まれてまもなく離婚した両親に代わって、祖父母の戸籍に入れて
末っ子として育ててくれました。
オジイは戦争中は、商船に乗っていたということで戦場には行きませんでしたが、
物資輸送中に魚雷が当たって海の底に投げ出され、あやうく命を落とすところだったそうです。
運よく助かったオジイは、船を降りた後は散髪や大工と畑仕事をこなしていました。
唯一の楽しみは、仕事が終わった後の泡盛。。。。
たまに、残ったご飯で「濁酒」を造って、お砂糖を入れたものを飲まされた事があります。
私が酒が強いのは、オジイの濁酒に鍛えられたのかもしれません(笑)
器用なオジイは、私の散髪や勉強机・椅子造り、夏休みの工作?
何でもやってくれました。
そして、食事の時は魚の骨を綺麗に取り除き、ミカンは皮を綺麗にむいて食べさせてくれたり
お肉は、脂身は自分が食べて赤身は私に食べさせるという程の可愛がり用でした。
その反面、オジイのお父さんが教師だった事もあって、躾けに関してはとても厳しい人でした。
行儀作法、言葉使いに関しては目が光って「鬼」と感じる程に厳しく躾けられました。
おかげで叔父・叔母や母も含め私達家族は、宮古の方言は聞き取る事が出来ても
話す事が出来ません。
オジイは、方言しか話せないでいると大人になって恥ずかしい思いをするし、嫁に行くときも
苦労するから、ちゃんとした日本語を話しなさいと常に言って聞かされていました。
高校を卒業して宮古島を離れて就職した時に、改めてオジイに育てられて良かったと実感しました。
沖縄から本土へ就職した人達の殆どが、言葉の壁で大変苦労したそうです。
叔父や叔母もオジイの厳しい躾けのおかげで、就職先での言葉の苦労は無かったと
感謝していました。
又、オジイは部落で子供が生まれると命名をお願いされたり、書道が得意なので
自治会や学校から賞状等を書いてほしいとお願いされたりで、部落では有名な
オジイでした。
そんなオジイが私は大好きで、いつでもどこでも後をついて回りました。
そして、部落でアチコチからお祝いの席に呼ばれる事も多く、
オジイが大好きなお酒を飲みすぎないようにと、オバアは必ずといっていいほど、
私をお供につけました。
私が一緒に行けば、遅くまで飲む事もないし、途中、寝てしまった私を
負ぶって帰らなくてはいけないので、飲みすぎることもありません。
さすが、明治生まれのオバアです。
亭主関白のようにみせて、しっかりと操縦していました。
そんな私とオジイは一心同体。。。
私の中に、オジイのいない世界は考えられませんでした。
14年前に91歳で他界してしまいましたが、今でも心の中にしっかりと
オジイは生きています。
オジイとオバアに育ててもらった事をとても感謝しています。




おばあの眉毛と
抱かれてる ひとみさんの眉毛 全く一緒
思わず微笑んでしまいました。
こんばんは!
オジィの手は、とても大きくて、がっしりして
いますね♪
オバァとオジィと写っている写真!hitomiho
さんは、何歳ですか?
今後の日記も、楽しみにしています^^
鼻の形まで似ているんですよ!
低いところが。。。。
1?2歳頃の写真です。
右足が微妙に細いでしょう。
mituさん、コメントありがとうございます。
私の最愛のオジィとオバァです。
オバァに抱っこされているのは、1・2歳だと思います。オジィと一緒にいる時は9歳か10歳ですね。
真っ黒でしょう(笑)