ATARIMAEプロジェクトホームへ ブログトップへ

宮古島の最近のブログ記事

復帰前は、お正月を祝うのは旧正月でした。

でも、本土へ就職した人達が帰ってくるのは新暦の正月なので
賑やかに正月を迎えていました。

今では見ることもなくなってしまいましたが、殆どの家の門には門松と
日の丸の旗がなびいていました。

大晦日の夜には、オバアが手作りの餅を作り、正月料理を夜遅くまで作っていました。
又、部落内は1班から6班とグループ分けされていて、各班毎に大晦日に豚を潰して
それぞれ分け合います。
馬やヤギの時もあり、一年で一番贅沢な食事だったような気がします。

オジイは、山から竹を切ってきて門松を飾り付け、紅白歌合戦が始まると
テレビの前に釘付けです。
又、テレビのない家の近所の人達が集まって賑やかに年越しをします。

この時、新しい年を迎えるんだなーという実感がわいてきました。

我家は、部落でも「新里」の本家でした。
分家も30件以上あり、親戚も多く誰がどういうつながりなのか分かりません。

元旦の朝早く、夜が明けると同時に新年の挨拶にお客様が来ます。

座敷には正月の挨拶用のおとそとゆでた豚レバーの切り身が用意されており
本家の主、オジイからレバーに塩を乗せ、お客様は頂戴をした形で
そのレバーを受け取り口に入れ、次にオチョコの泡盛をオジイから受け取り頂きます

朝一番のお客様が帰った後に、家族が一人ずつオジイの前にひざまづいて
レバーと泡盛を頂きます。
これが、お正月の儀式でした。

この儀式のせいかな? お酒が強くなったのは。。。。(笑)

本家のお正月は忙しいです。

朝から次々と挨拶に来るお客様の対応に追われます。
料理やお酒の準備、後片付け。。。。

延々と夜まで続き、さすがのオジイも早い時間には酔って寝てしまっていました。

正月3日間は女の人は台所から離れられません。

小さい頃は、お年玉がもらえるのでお客様が来るのが楽しみでした。

お年玉を手に近所の駄菓子屋さんへ行き、くじ付きの駄菓子を買うのが
とても楽しみで、一日数回も行くのでオバアに叱られたことも。。。。

無駄遣いをしないようにと、叔父が鉄の貯金箱を作って無理やり貯金箱に
お金を入れさせられました。

旅からの人達が帰った後は、部落全体が静かになってしまいますが
再び旧正月で帰ってくる人達で部落は賑わいます。

旧正月になると私は晴れ着を着せてもらい、あちこちの親戚の家に
挨拶へ行きます。
もちろん目的はお年玉。。。

一年で一番金持ちになれる時ですね(笑)

今は、本家もオジイの代から叔父が受継ぎ、正月の儀式もなくなりました。

子供の頃のあのウキウキしたお正月が懐かしいです。


梅雨明けした沖縄はいよいよ夏本番です。

青い空、青い海、ぎらぎら太陽がまぶしいsun

そして、台風の季節でもあります。typhoon

私が小学校4年の時ですが、最大級の台風がありました。typhoon

今まで経験した台風の中で忘れる事のできない大型台風です。

測候所のレーダーが飛ばされたということで、観測された最大風速は
80mだったそうです。wave

当時は、木造建て瓦屋根の家が多く被害もかなりのものでした。

私の住む家は母屋は瓦葺の木造でしたが、後から継ぎ足した台所が
コンクリート造りでしたので、いよいよ風が強くなった時は台所の方へ
非難しました。

台風の目に入った時は、不気味な程に真っ赤な空が見えて物音一つ
聞こえないくらい、あたりが静かになります。

その間に大急ぎで家の窓・入口を内側と外側を板で打ち付けて、
風で飛ばされないようにありとあらゆる準備をしていきます。

そして、台風の目が過ぎた時が地獄のような風雨がなり始めました。eye

気圧のせいでしょうか。。。。

耳がキ?ンと痛くなり、話し声も聞こえませんear
怖くなってパイプベッドの下にもぐりこみましたが、

なんと、ベッドが浮き上がるのです。shock
必死でベッドの足を捕まえて、台風が通りすぎるのを待ちました。

少し風向きが変わったところで、祖父がヤギ小屋の様子を見に行くと
ヤギが失神していたということで、台所に運んで泡盛を吹きかけていました。

そんな恐ろしい台風が過ぎ去って外に出てみると。。。

ガジュマルの木は根元から倒れ、母屋の屋根瓦はすべて吹き飛び
家の中は水浸しです。

頑丈に打ち付けていた戸は全部剥ぎ取られていました。

そして、部落内を歩いて見ると。。。。

ペシャンコに潰れた家がありました。

可愛そうに、その家のおじいさんが下敷きになってしまっていました。

部落から海を渡った、池間島にはカツオ工場がありましたが
工場も潰れて、同級生のお父さんが犠牲になってしまいました。

毎年、やってくる台風。。。typhoon

台風銀座と呼ばれている先島諸島ですが、大きな被害が無いことを
祈りたいです。

写真は、宮古島西辺名崎の風車です。
数年前に同じ規模の台風に見舞われて風車の羽が
もぎ取られました。(凄い威力です)

羽の取れた風車.jpg





土曜日の夕方仕事を終え、那覇から宮古島へ飛んだairplane

空港へは同級生が迎えに来てくれました。

日曜日に海人祭があるので、同級生が参加する船の漕ぎ手として
参加しないかと誘われて数十年ぶりに海人祭に参加します。

小学校時代は、大人の船漕ぎ競争を砂浜で眺めるだけでした。

実際に船を漕いで見ると12人が掛け声をかけながら、ゴールを目指して
ただひたすらに漕いでいく。。。。

一着でゴールした時の爽快さ、心地よい疲れと皆の笑顔は最高でした

同級生全員が私の足の障害の事は全く気にしていないので。。。。。

来年も来いよ?wink 一番上手だったよ?scissors

さすがに釣りで鍛えた太い腕だけあるね?
bleah

ほめているのか?gawk

打ち上げでは、しっかりとおとうり酒も回ってきて、

私もお祝いのおとうりを。。。。

2日間の滞在でしたが、とても楽しい2日間でした。

たまには田舎の行事を楽しみながら帰省しようと思います。

P5310050.JPG
ゴールデンウィーク中に法事で帰省したばかりですが、今日から又2泊3日で帰省します。

今回は、明日日曜日に催される海人祭に参加するためです。

毎年行きたいな?と思いつつもタイミングが合わず参加できなかったのですが
今年はスケジュール的にもバッチリ、なんといってもマイルがたまっていて交通費も
マイルですべてOKでした。

年齢別対抗のサバニのリレーは、毎年盛り上がるそうです。

そして、そのサバニの漕ぎ手のメンバーに私も入っているということです。

え? いいよ? カメラマンでいいさ?

と言うと

毎年、お客さんを優先に漕ぎ手としてメンバーに入れるそうです。

さて、どんなリレーになることでしょう

楽しみです。

一応泳げるので、船がひっくりかえっても大丈夫です。。。。

ひっくりかえっても?

いや、わざとひっくり返して早く乗り込んでゴールに向かわなければならないそうです。

大変だ? 身体が重くて上れるかな?

では、次のブログ更新で結果をお知らせ致します。

プロフィール

  • プロフィール画像
  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
  • ATARIMAE(あたりまえ)プロジェクトホーム

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち宮古島カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは家族です。

次のカテゴリは小学校時代です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。