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東芝姫路工場の最近のブログ記事

久しぶりのブログ更新となりました。

20歳になると少しハメを外しはじめました。
オジイに鍛えられた胃袋?
お酒が強いという事が分かると飲酒の機会が増えてきました。

異性との交際も。。。。
学生時代は足の不自由さにコンプレックスを感じていたので
男の人は、健康で美人しか相手しないと思っていました。

でも、姫路に来て色々な事を経験していく中で
少しずつそのコンプレックスもなくなってきて、
積極的に行動できるようになってきたのです。

でも、その積極的な行動も今思えば
急ぎ過ぎたかな?
なんて思う事も

新しい年を迎え、
他工場に行っていた応援部隊が戻ってきました。

又、賑やかに皆と作業が出来るかと喜んでいたのですが
次の応援部隊を決めて、各工場に派遣することになっていたのです。

そして、とうとう私も応援部隊のメンバーに選出されたのです。
応援先は、自分で希望出来るという事でしたので、東京に近い
川崎の小向工場を希望しました。

そう。。。。
この川崎の小向工場へ応援に行った事が
私のこれからの運命を変えるきっかけとなったのです。

導かれたのかな?

20歳の思い出

20歳?
かれこれ33年前になりますか!

過ぎてしまえば月日の流れるのは早いものです。

あー あの頃に戻って人生やり直したーい

なんて思う事も。。。。

20歳記念に母が祝ってくれるという事で、岐阜に就職していた同級生を誘って
東京の実家に向かいました。

母が振袖の貸衣裳を用意し、美容室を予約していました。
まさか、成人祝いをしてもらえると思っていませんでしたので、
会社に来る呉服屋さんの薦めで、20歳の記念にローンを組んで
アンサンブルの着物を仕立ててもらっていました。

アンサンブルは同級生に着てもらい、自宅前で記念撮影!

せっかく晴れ着を着たので、どこかへ行く?
東京タワーに行きたいという同級生の案で雪が降った後で
足元の悪い道を慣れない着物姿で出かける事にしました。

若い頃から人ごみが苦手だったので、チョッとフーフー言いながらの
東京見学となりました。

夜は、義父が行きつけのスナックに連れて行ってくれました。

スナックのママさんや常連さんに

今日はうちの娘の二十歳のお祝いだよ!

と嬉しそうに自慢して祝ってくれました。

そして、初めてカラオケで義父とデュエット♪

銀座の恋の物語

拍手喝采の中、大人になったんだ?と実感しました。

宮古島で成人式を迎える事ができませんでしたが、
とても心に残る二十歳の思い出です。

オジイ? 帰ってきたよ!

宮古島を離れて8ヵ月
お正月休みを利用して、宮古島へ帰ります。

前回のブログでは、大阪から飛行機で帰ったと書いていますが、
30年の月日は記憶が少しずれてしまったようです。

実際は大阪から船で那覇に向かっています。
当時お付き合いしていた、彼(沖縄出身)と一緒だった事を思い出しました。

お互い貧乏ですので、少しでも旅費を浮かせるためでした。

私は、那覇の叔母の家に2泊して
叔母と従兄と那覇から飛行機で宮古島へ向かいました。

飛行機の窓から見る宮古島は懐かしく
久しぶりにオジイに会える嬉しさでいっぱいでした。

飛行機から降りて、到着ロビーには懐かしいオジイの姿が見えていました。

オジイは照れ臭そうにしながらも満面の笑顔で立っていました。

空港から狩俣までのタクシーの中から見る風景を見ると
あ? ほんとに帰ってきたんだ?と夢のようでした。

後で聞いた話ですが、私達の到着は昼過ぎなのに
オジイは朝一番のバスで空港に向かったそうです。

そして、会う人会う人に嬉しそうに

今日、ヒトミが帰ってくるんだよ。。。と言っていたそうです。

オジイがこんなにも首を長くして、私の帰りを待っていた事を知り涙が出る思いでした。

懐かしの我が家に到着!

仏壇のオバアに手を合わせて近況報告、
でも、ホッと一息する暇はありません。

帰って来たからと言ってのんびり出来るわけではないのです。

お正月の準備に取り掛からなければなりません。

本家であるオジイの家には、正月はひっきりなしにお客様が来ます。
たっぷりと料理を作って出迎えなければなりません。

同居している、ネエネエは部落の売店で働いていますが、
部落中の人が買い物に来るため、朝7時から夜9時まで忙しく働いて
正月は休みもありません。

買い物に出ると久しぶりに会う人達に呼び止められて
お帰り、お帰りの挨拶が飛び交います(笑)

夜は、同級生がお迎えに来て毎日がプチ同窓会

姫路に戻るのが嫌になってきました。


初めての里帰り

正月休みを利用して、初めての里帰りです。

久しぶりにオジイに会えます。

暮のボーナスは全部帰省費用で消えてしまいました。

オジイへのお土産は?

下着にクツ下、ポロシャツ。。。

時々、買って送っていましたが
ちゃんと着てくれているでしょうか?

久しぶりに帰る宮古島の事を思うと嬉しくてたまりません。
ワクワクしながら、大阪から那覇経由で宮古島へ飛びます。

オジイには電話で帰る日程を知らせておきました。

私も少しは、あかぬけたかな?

なんて、オジイや同級生に会った時の事を考えると
にやけている自分がいました。


毎日が充実していました。

さて。。。
1人2交代勤務がスタートして寂しく仕事をしていたと思います?

週2回のタイピスト教室、ペン習字、和裁教室と勤務時間に合わせて
習い事をしていたので、平日のスケジュールはビッシリ!

又、週に1度JRのボランティア活動の集まりがあり
メンバーの地元、相生の青年活動にも参加していました。

相生のハーリー?
海神祭があって、仮装行列に参加happy01

そして、週末は大阪へ。。。。

大阪北区に母の弟二人が豆腐屋さんに働いていて
毎週のように遊びに出かけていました。

叔父の紹介で豆腐屋に住み込みで働いている
沖縄出身の男性を紹介されたこともあって

彼に大阪の街を案内してもらったり、京都・奈良と観光したりと
新しい恋の始まり?heart04

とにかく毎日が充実していて、忙しく動き回っていました。run

そんな私を見て、友人に

シンチャン! あなたジッとしている時ってないの?
休みの日は寮にいた事ないんじゃない?

いつも何処に行って何してるの?

毎日飛び回っている私を見て、呆れていました。

私にとっては仕事もプライベートも一生懸命
休日に何もしないで、寮にいるなんてもったいない
寝る時間も、もったいないと思っていた程でした。

そんな私は目立つのでしょうか?

応援で寮生が少なくなった事もあって
女子寮の役員に選ばれ、またまた忙しくなっていきました。

秋、文化祭シーズンはお祭りの出し物を計画したり、連合会として
男子寮の役員と合同で色々なイベントの企画をする事もありました。

文化祭の出し物は、

浴衣ファッションショーshine

司会進行を務めましたhappy01

相生市の文化祭では、会場に来たお客様へ
甘酒をふるまうお手伝いに参加。

寒い中、一生懸命甘酒を配っていたのを思い出します。coldsweats01

冬は、スキーツアーに初参加する事になり
スキーウエアを買いこんで、張り切っていたのに

その年に限って雪不足で中止!weep
念願のスキー・ソリ遊びは、とうとう出来ませんでした。think

月日が、あっという間に過ぎていくのを感じました。

そして年末、初めての里帰りです。

やっと、オジイに会いに帰ります。airplane












まさかの一人二交代勤務!

職場の先輩に誘われて案内された先は

相生のJRの一室

数人の男女、東芝とは全く違う職種の先輩方達が
集まっていました。

自己紹介をした後、グループ活動内容を説明がありました。

JTAだったかな?

JRの会員登録をして、旅のお手伝いをするボランティア活動です。

たとえばJRが企画する地元のツアー旅行に同行して
お客様をお世話するという事です。

私が最初に参加したのは
地元のお寺めぐりツアー

お爺ちゃん・お婆ちゃん達とバスでお寺めぐりに同行
添乗員さんのお手伝いをしながら、お昼のお弁当やお茶を
用意したりするのです。

交通費も食事代もJR負担ですので、結構楽しいボランティア活動です。

そして、会員が旅行する際は交通費も割引されJRの宿泊施設を格安で
利用できるという特典がついていました。

すっかり、地元の先輩達とも親しくなり障害者の施設訪問や
地元の文化祭のお手伝い、宿泊研修等と仕事以外にも充実した日々を
送っていました。

お給料は手取り7万円程度、その中から習い事の費用を支払い
大好きなオジィに毎月1万円の仕送りをしていたので、手元に残る
金額はわずかでしたが、食費を節約しながらの生活でした。

入社して半年を過ぎた頃

他府県の東芝工場に応援に行っていた先輩達が
姫路工場に戻ってきました。

先輩達の話からすると

ずーっと姫路にいることは学生以外は難しいと

学生・パート以外は、他の工場へ応援に行かされるらしい。。。

強制ではないが、殆どの人が行かされるそうです。

え? やっとなれてきたのにそんな事になったらどうしよう。。。

習い事は?

中途半端になってしまうじゃないか

そんなある日、次々と同じ班のメンバーが呼ばれて上司と面談が
始まりました。

次の応援部隊が決まったようです。

話を聞いてビックリ!

私を除いて同じ班のメンバー全員応援で他工場へ行く事になたと

残るのは、班長2人と私だけ!

入社して1年もしないうちに1人で2交代勤務だって

昼間は、パートのオバちゃん達がいて賑やかだけど
夜は広ーい工場内は薄暗く機械の音と、眠気覚ましの音楽が
聞こえてくるだけです。

思わず班長に

まさか! ホントに1人?
入社して1年もたってないけど


くってかかりましたが

シンちゃんなら1人でも大丈夫
それに自分ら2人おるし心配ないよ


ちょっと。。。そういう問題じゃないけど

会社が決めた事とはいえビックリでした。

パートのオバちゃん達もこの決定に

あんた たいへんやなー
でも、がんばりー


それしか言えないですよねー(笑)

そういえば、入社して3ヶ月で工場の移動があり
寮を引っ越した事もあったんだ。

半年間ですが、班長以外私を1人残して
皆他の工場へ応援に行く事が決定しました。









姫路での仕事は

兵庫県姫路の東芝姫路工場へ入社して
配属された場所は、トランジスタの検査部門

トランジスタ?

トランジスタと聞いて連想したのはラジオでした。

違うんですよねー

なんだか難しいのでこちらを見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF

数多くの種類トランジスタが生産されていて、
そのトランジスタの規格が合っているかを測定するのが
私の仕事でした。

机の上にトランジスタを測定する機械が置かれていて
製品毎に、?ボルトと?アンペアを設定して
トランジスタを差込ます。
すると針が動きだしますので、その針がふれた数値が
規格にあっているかを確認して良品・不良品と仕分けしていくのです。

製品番号と機械の設定等。。。
規格を憶えるだけでも大変です。

理数系が苦手の私にはチンプンカンプンでした。

私達を指導する班長さんは、男性の方でしたが
口が悪く、ズケズケと物を言う方でしたので、
覚えが悪いとすぐに

オマエ アホかー

コンナンモ オボエラレンカー


と言ってきます。

関西の言葉なんて聞きなれていません。
まして、兵庫の赤穂方面は言葉がきつく聞こえるそうです。

その言葉にカチンと来た私は

アホでスミマセン!
頭が良かったら、とっくに大学へ行ってますよ!
こんな所に来ませんよ!


恐いもの知らずと言うのでしょうか!
大先輩の班長さんへ口答えしてしまいました。

それを聞いた班長さん

そりゃーそうだな
頑張って、はようおぼえな!

と妙に納得してくれました(笑)

でも班長の言うとおり、憶えなくては仕事ができません。
メモ帳に何度も何度も製品番号と規格を書きだして
隙間がないくらい書き出し、英語の単語を覚えるように
ブツブツと繰り返し頭に記憶させるように努力しました。

その成果もあって、他の新入社員より仕事をすぐに覚え
検査スピードも速く、ミスがないことから重要な検査を
任されるようになり、仕事がだんだん好きになってきました。

又、班長も私の気の強さが気に入ってくれたようで
言葉は相変わらずきついですが、何かと指導してくれ
周りも認める程、コンビを組んで仕事をするようになりました。

昼勤は、地元のパートのおばちゃん達が一緒に作業をするので
兵庫のおばちゃんパワーに圧倒され、賑やかな職場でした。

高校時代、主婦をやっていたせいか、おばちゃん達に気にいられて

あんた、おもろい子やなー
ほんまに17歳?
うちらより、なんでも知っているなー
としごまかしてへん?
あんたみたいのみみどしま いうんよー
でも、わかいのに苦労してえらいなー


とバリバリの関西弁で仕事中もいろいろと話しかけてきます。

そして、休日は自宅へ招待され、ご馳走してもらったり、
日用品や食器、鍋などを頂いたりといろいろと助かりました
人間関係も好調で楽しく仕事することができました。

又時々、休日出勤で頑張っている班長へ
手作りのお弁当を届けることもありました。

きっかけは、班長が冗談で

明日、休日出勤だから弁当作ってこいや!
お前らは休みだけどワシは仕事
弁当くらい差し入れしてくれんかなー

と言ったことで
純粋に私は弁当を作って、休日出勤で頑張っている班長へ届けたのです。

その事で、班長も感激し自宅へ招待ご馳走してくれました。
それからは、奥さん子供とも家族のように親しくお付き合いをするようになりました。

そして、班長から

おまえなー ずっと姫路におったらええよ!
おれんとこの親戚の子、紹介するから結婚せ!


なんて驚きの話もでました(笑)

でも、まだまだ結婚なんて考えてもいない年頃です。
ましてや、高校時代から主婦をやっていた私は
やっと主婦生活から開放されて、新しい生活にワクワクして毎日を
どうすごしていこうかと考えているので結婚なんて眼中にありませんでした。

2交代勤務なので、出勤時間に合わせて週に3回は
寮にある白百合学園の習い事教室に通っていました。

週1回は、へたくそな字を直したくてペン習字教室へ

週2回は、姫路駅前にあるタイピスト教室へ通いました。
当時はまだワープロもない時代でしたので、タイプを習っておけば
将来何か役立つことができるだろうと考えていたので、東芝姫路を選んだ理由の一つです。

駅まではバスで通わないといけませんでしたが、遅番、早番と勤務に合わせて
スケジュールを組み、90分の授業も短く感じる程、指がキーボードをスムーズに動くようになてくると
遅番上がりで眠くても、教室での時間があっというまに過ぎていきました。bus

そして、欲張りな私は
機械網教室・和裁教室と空いている曜日を
お稽古事で埋めていったのです。

さらに週末になると、一人神戸の町で買い物して、神戸・滋賀・名古屋と友人を訪ねたり、
大阪に住む親戚の家を訪ねて小さな従兄弟達の遊んだりと寮にいるということがありませんでした。

寮の友達もあきれて

シンちゃん、あんた休みの日は寮にいたことないんじゃない?
疲れない?
いつも何処に行っているの?


と不思議がられていました

シンちゃんは、新里(しんざと)の姓が呼びにくいということで
職場でつけられたニックネームです。

でも、シンちゃんの呼び名は男の子みたいで
シンちゃん言うから男かと思ったー

なんていわれることも

まっ 性格が男みたいだからいいかな!bleah

そして、元気に飛び回る私を見て
職場の先輩から、ある場所へ招かれて
地元の青年団の活動にも加わることになってしまいました。

更に楽しい姫路の生活がスタートしました。happy02

その姫路工場は?
http://www.semicon.toshiba.co.jp/profile/site/himeji/index.html

懐かしいhappy01


姫路城をバックに.jpg

プロフィール

  • プロフィール画像
  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
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