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2009年10月アーカイブ

ウエムクサムライは自然豊かなところで生まれ、毎日どこかに絆創膏を貼って、冬でも半そで半ズボンの、いわゆるガキんちょでした。

とはいいつつも、あまり気が強いわけではなかったので、ガキ大将的ではなく、また、母が教員であったため、結構厳しい家庭でした。いわゆる、"熱血教育ママ"の家庭ですね。

ファミコン、だめ。ビックリマンチョコ、なかなか買えず(箱買いなんて信じられない!)。北斗の拳・キン肉マン、暴力的でダメ。みたいな感じで。

父は特に教育には干渉せず、あまり怒られることもなく、ただ、博物館や海や山やスポーツなどなど、いろいろと遊びに連れて行ってくれる、そんな人でした。

ちなみに、母方の祖母も元教員。父方の祖父は家柄を大切にし、大変マジメで几帳面な人で、朝、髪型の分け目を決めるときに、千枚通しで一本単位で分け目をつけていたような人。

 

そこそこの成績をとっていたので、当時その地域では珍しく(クラスに1?3人程度)、中学を受験することを母が決め(最初から決めていた?)、小学校高学年でなんとなく塾通いをすることに。

が、当人は全く私立の学校に行く意味も意義も意欲もなく、押し付けられた現実、洗脳される環境をまぁ淡々とこなしつつ過ごしていました。

が、そんな状態では当然一定以上の成績は取れないわけで、受験は全滅。

当人はほっとして公立の中学校へ。

 

中学校では、受験勉強のおかげもあって、ほとんど勉強済みの内容で、新規登場の英語と数学以外は特に何もせずともいい成績をとれました。

が!!

英語と数学には四苦八苦。

何せ、他の教科と同じ姿勢では、身に付きようがありません。

音楽もダメでしたね、たぶん、小学校時代にエレクトーンを強制的に習わされたというトラウマでしょう。

英語もモチベーションがあがらず、数学にいたっては、定理とか方程式とか、理論抜きで覚えなければならないことが多く、当時のサムライには全く合いませんでした。( ̄ー ̄;

なにせ、基本的に、物事の理由や実態を納得・体験してようやく身に付くという、あまり器用な性格ではなかったので。

ということで、英語と数学(+音楽)が徐々に足をひっぱり、それまでそこそこにとっていた成績が急降下。

そんな中で、テストの結果やら、通信簿やら、親に見せるのがいやだったこといやだったこと。

先生には褒められるような総合成績でも、少し下がったりするとえらい事に。

たまに、頑張って校内上位の成績をとっても、親に褒められたと言う記憶はありません。

 

よくグレなかった、というのは、その分、塾で問題児筆頭として、やりたい放題だったからでしょうか。

 

その後の経緯はまた日を改めるとしますね。

 

うつ病になってから、母は、当時を思い出しては、「私はやりすぎた」とか、「私の姿勢は間違っていた」とかいってナミダします。母もこれまた頑固者なので、いくらそれを違うと言っても聴きやしません。

私にとっては、最悪のナミダです。

 

その教育の中、なんとか頑張って生きてきた自分、大人になった自分なのに、その根っこを否定されるような気持ちがするから。

自分は結構厳しく制約された中でも、工夫して楽しんで来たつもりです。

当時の教育方針に、今は何の文句もありません。塾通いや、ファミコン類がなかった為によく外で遊んだおかげで、大量の雑学が身についてますし。

 

ということで、うつ病と特に闘っていた時は、母と会うことは非常に負担でなりませんでした。

 

うつ病の治療で、カウンセリングなどでは一般的に生い立ちや家族の様子などを聞かれますが、なるほど必要な情報なのですね。

自分の性格、いろいろありますし、突き詰めて考えるときりが無いものですね。

私の場合も、いろいろです。

 

「とても柔軟で機動力に富む」

とも言えますし、

「頑固で自分の主張を曲げない」

というところもあります。

 

どちらかと問われれば、後者の方でしょうか?

柔軟で他人の意見に耳を傾け、そちらの方向に進むこと同意としても、したたかに自分の主張を織り込んでみたり、カウンセラーの意見に納得しても、どうも意識下の根底には、自分の頑固が居座っている。

うつ病で長い間の闘病をしているのも、頑固さがあるから、というのが一因、とわかっていても、どうも・・・。

まあ、それもいいんでしょう。

良くも有り、悪くも有り。

 

あとは、

「プライドが高い」

ところでしょうか。

先日の記事にも書きましたが、頑固さとプライドの高さは私が"大艦"(舵が効きにくく、方向転換に時間がかかる)たる由縁でしょう。

こちらも、良くも有り、悪くも有り、という感じの「プライドの高さ」だと思うのですが。

 

ちなみに、いろいろと自分の評価を"高く"ブログで自己紹介していますが、これはそんな私への戒めでも有り、動機付けでも有り。

また、同じ様な境遇の方、現代社会的な"転落"っぷりを見て勇気付けられる方がいらっしゃれば、その方へのメッセージにもなると思っています。

 

長所は、一方で短所になります。

短所は、一方で長所でもあります。

 

自己紹介で使えるのは、自分の長所として、何かを挙げ、自分の短所では、時にはこの長所によって短所になるという見方で紹介するのがよいと思いますが、これは余談で。

 

私の場合、「好奇心旺盛で、広く深く追究する」と長所で言いますが、

これは裏返せば、「いろいろなことに手を伸ばしすぎて、どれも中途半端になる傾向にある」

というところでしょうか。

 

いろいろです。

 

欧米では、"YESかNOか"というデジタル判断が好まれますが、日本では、"YESとNOの間""曖昧さ"がしばしば大切にされます。

こういうアナログ判断も、時には短所ですが、日本らしさ、人との付き合い方での日本の文化、とすれば、長所と考えていいんではないでしょうか。

自分の性格も、デジタルの二進法、ゼロかイチか、では言えませんよね。

 

いろいろです。

 

うつ病も、近年ようやくいろいろな著書やテレビ番組で紹介され、社会問題化してきていますが、まだ、「人によっていろいろ」という部分がわかりにくいですよね。

投薬治療が支えになったり、負担になったり、転属が治療になったり、負担になったり、思わぬひらめきが病気からの脱却を生んだり、ゆっくり思考を変化させていったり・・・。

 

いろいろなんですよね。

今まで数本の記事を挙げて、反省。

 

長い。

長いですよね、長文すぎ。

自分で読んでいて疲れるので気が付きました。

 

熱が入ったり、文章にすると、ついつい長くなってしまう、そんな癖があるのです。

極力、簡潔に完結に行きたいと思います。

が、どうしても短文だと誤解やヌケが出てしまって本意が伝わらないと思った場合は、ご容赦下さい。

 

目下、資格試験の合格発表待ちです。

資格を取得しても、しなくても、いずれもまた大きな挑戦が待ってます。

あと、浪費によりストレス解消していた時期が響き、家庭的、経済的に苦しい状態がしばらく続く為、不眠です。

 

先日、健康診断で心臓がひっかかったのですが、再検査、精密検査すれども、全く異常の破片も見つかりませんでした。ひとつ、安堵。

 

これじゃ、短文過ぎるでしょうか・・・?

うつ病前、自己評価として100%を普通、150%以上の努力でなければ満足できなかった自分。

結果(アウトプット)も然り。

 

当然、無理が掛かっていたのも、また、今が自分にとって普通なのも、頭ではわかっているんですが、今現在、出せるのは今の感覚で70%(当時の感覚からすれば50%未満でしょうか)がせいぜい。

それでも疲労度は100%以上という実態。

 

これで一日の仕事をこなすだけに回復できるのだろうか・・・。

これが自分の実態だと感じられているだけ、いいのだろうか・・・。

 

課題が山積みでも取り組んでいた病気前ですが、だいぶ回復してきた(と思う)今でも、5つ6つ、少し工夫のいる課題が重なると疲れてしまう(腰から力がすかっと抜けるような)状態が続いています。

好きなことに対してでもこの状態なので、恐らく症状(エネルギー不足)だとは思いますが、これが、甘えなのか、とも不安になるような。

 

うつ病と診断された当時の産業医(カウンセラー)の一言目がすごく痛みます。

私のことを書類の肩書き程度しか知らずに、症状を話したら、

「単にさぁ、仕事したくないだけじゃないの?」

といきなりの言葉。

これだけ仕事をして、評価ももらって、更なる期待にも応えようとしてきたのに!!

「仕事したくなくて、60時間戦えますか?

今日も朝3時すぎに業務の回答メールを打ちますか?徹夜になったら代休を強制されますから、そのあと無理やり4時前に会社を出て、帰宅して風呂に入って・・・なんて時間もないので、近所のファミレスで仮眠を取って、7時前には出社していますか?

年に数度、その日のうちに帰ったら「早かったね!」と言われる、そんな毎日をあなたができますか?

それを全く見て見ぬふりをする上司、結婚式で「ウエムクサムライ君は、仕事が大好きでして、今日はもう帰れと言ってもぜんぜん帰らないんです。」と、堂々と言い放てる、そんな上司の下で続けられますか?

一度、ただ一度、残業をフルに申告させて、一挙に課内が奮い立たせた上司がいましたが、ボーナスの様な残業代を発生させたとして、その方は首を切られましたが、それでいいんですか?

日本有数の会社の中身が、これ。社内でも、花形でもっとも過酷な部署の一つと言われた職場で仕事を続けてきた私ですが、それでもそう言いますか?

あなたの面接待ちの患者が列をなしているのは見てわかりますが、私のところには全国のお客さんや支店から、1時間ごとに15センチずつ書類が積みあがっていくんですよ?同じ様にそんな回答をしますか?

『できるヤツのところに仕事は廻ってくるからな、できない方がいいんだよ。』と先輩にいさめられていますが?

会社に対して、これがむしろ深刻な問題だと提起していないんですか?」

 

今となって当時を思い出すと、猛烈にこみ上げてくる言葉たちですが、当時の"サンドバック"サムライには、「は?」と顔色を変えて言うのが精一杯でした。

就職活動の圧迫面接じゃあるまいし、医者とも名乗る人が、患者に対してそういう篩いにかけるような姿勢でいいんですか!?

 

・・・熱が入って脱線してしまいました。

 

それでも、2年くらい前は1つの課題で疲れていましたから、前進はしているのでしょう。

少しずつ、ほんの少しづつエネルギーを貯めていく、そんなうつ病との闘い、というか、付き合いが長続きしてしまっているのは、性格的なものもあるんでしょうか。

ある部分、自分を変えなければならないと感じますが、これまで造ってきた、生きてきた自分を変える、というのは、私にとっては殊の外難しいことです。

 

さながら舵の効きにくい"大艦"の様な性格(頑固な部分強し)の私は、ゆっくりゆっくり方向(意識)を変えるので精一杯です。

それに対して、周囲の評価は押並べて"速度"と"更なる方向転換"ばかりを求められる様な気がします。もちろん、病気になってから生活が流転していく速度は"マッハ"ですが・・・。

 

できれば、ここまで方向転換してきた自分を褒めたいのですが、私のうつ病では、ある意味、ひたすら受け身のサンドバッグの様になっていましたので、なかなか・・・。

一般的に行われている心理カウンセリングは、その面でとても有効でしたが、なんにせよ費用がかかるのが致命的です・・・。

 

エネルギーを再充填する、といっても、ただ休んでいるだけ、負担軽減だけではダメな私のケース。

健康な人からは、何を贅沢な、と言われそうですが、私からすれば、ただ休んでいるだけで充填できる人がよかった、という思いもあります。

 

甚だ燃費の悪い車のような、そんな走り方しかできませんが、少しずつでも進んで行きたいと思います。

 

なんだかこの度は上手くまとまりませんで・・・。

現在、これまでうつ病で非常に大変な思いや苦労もしましたが、"あくまでも"私の人生としては、よかったのかな、と思っています。

それは、人への思いやりや、やさしさ、笑み、あたたかさなど、人間として豊かになれたように思えるからです。

 

また、あの時期に体が悲鳴をあげなければ、そのまま自分にとってはとても無理な過労の状態が続き、身体的・健康的により酷いことになっていたと思います。

 

そして、あの時期は、ちょっと今では恥ずかしいほど調子に乗っていたり、"鼻高々"のような勘違いをしていたりしていました。

確かに、元々、目立ちたがり屋な性格であったにしても、そこまでイヤなヤツではなかったと思うので、あのままでは、社会的にも「人間としてどうなの?」ということになっていたと思います。

 

「立派な会社でお仕事されてますね。」

「花形のお仕事でいいですね。」

「あなたの会社なら、問題なく話を進められますよ。」

「いい給料もらってんでしょ?」

何かとこんな評価をされることがありましたが、これらは全て、私という人間を"直接"評価している言葉ではないのですが、会社や部門といったハコを褒められたことで、自分と言う人間を褒められたように勘違いをしてしまっていました。

クレジットカードが、利用制限なしのものや、ゴールドカードを、会社のブランドで持てるということも、何かステータスの一つの様に思いました。

(その後、散々な状態になるのですが、それは、またの機会に・・・。)

 

ビジネス用語で「勝ち組」・「負け組」という表現が(今では私は現代社会の偏見のひとつに思いますが)ありますが、この二つでいう、「勝ち組」の道を確実に進んでいるな、と思っていたのです。

 

現代社会の暗い部分が垣間見えますが、まさに私はそこにはまっていました。

 

いい会社に入って偉い、いい部署に所属して偉い、と思ってしまって、そこで何をできているか、ということが見えていませんでした。

「やっている仕事、所属する会社」で人間を評価しかけて、「仕事をやっている人間はどうか」という本質がわかっていなかったのです。

日々の業務では、全くその面を出さなかった(これは自分でも不思議です。おそらく、仮面をかぶっていたのでしょう。)のですが、その反面、プライベート・私生活において、謙虚さや感謝の気持ちが足りず、偉そうなヤツであったような気がして大変恥ずかしく当時を思い出します。(お店で「俺は客だぞ!」という様な感じでしょうか。)

 

この病気になっていろいろと学びましたが、仕事というものは、大抵、巡り巡ってまわりの皆さんがお客様になりえます。

 

ああ、今日はちょっと疲れました。

さすがにここに来ても、当時を振り返り、公開するとなると、かなりのエネルギーが必要です・・・。

また後日・・・。

 

※その日の記事により内容が飛び飛びになりますが、構想ではだんだんと一つの話になっていく予定です。ご了解下さい。

「サラリーマンは体が資本」

「健康第一」

サラリーマンに限ったことではないが、「健康」は全ての生活の根底。

でも、当時の私にはその意識がありませんでした。

体育会系でスポーツをいろいろこなし、作られた体。

学生時代には、24時間いつでも活動可能な体。

健康に関しては、"無敵"だとすら思っていました。


・・・2003年夏・・・

 

3年半の国内向け環境プロジェクトの営業業務から、異動することに。

異動先は、環境プロジェクトのみならず、化学プロジェクトも含み、しかも海外を主力顧客として業務を進める部署。

業務内容は、営業から得た情報を元に、世界での入札戦略や落札価格推定、コストなどをとりまとめ、また、各国の案件や部品・材料の情報など、あらゆる重要情報をまとめてフィードバックするというより高度な企画業務。

これは栄転だ!と力が入りました。

 

しかし、異動前の営業での業務遂行状況はとても褒められたものではなかったんです。

入社当時は花形だった部門でしたが、この頃は公共工事の削減や、価格競争の激化で市場環境は急変、部署の人材も減って、残業の規制も厳しくなり、周囲も大変なことになっていたんです。 

あまりに多い担当エリア、顧客、業務+営業職につきものの雑務。

(引き継いだ後任は、すぐにうつ病に陥り、結局3人で分担されたと聞いています。)

それは、"ウツリーマン"のマンガにもあったように、何事も経験と成長の為、と、人一倍仕事を受けていたから。よく言って、それなりに結果が出ていたからもあったかもしれません。

営業代表として、新卒採用活動のインタビューや懇談会などに招かれていましたが、既に言動に自信がなくなっていた、少なくとも楽しく話ができなかった想いが記憶に残ります。

そして、営業という立場は、顧客と社内各部署との板ばさみに陥ることも多いのですが、「あいつは仕事大変だから・・・。」と同情を受ける始末。

 

今でこそ気付く、既に病の一旦は体にも出ていました。

普通に歩いていて、平面でもつまずく、突然ふらつく、朝礼程度の時間も立っていられない、失敗すると自分を過度に責める、他人の失敗でも自分の非を見つけては痛感する、顔に生気がない・・・。


・・・2004年2月・・・

 

異動して約半年、営業とは全く違う一日のリズム、更なるプレッシャーのある業務、それにも、慣れてきた頃。

仕事の基本は覚え、本格的に担当としていくつかの案件を任されつつあった時でした。

ある日突然、朝起きられなくなりました。根性で起きようとすることもできませんでした。

体が全く言うことを聞きませんでした。

今までにない感覚。起き上がっても激しい吐き気と眩暈に襲われました。

何か、ヤバい予感がしました。

その時は2日間、会社を休みました。

それは、始め月に1、2回現れ、徐々に頻度が多くなっていきました。

とりあえず、症状から考えられる病院に行きまくって検査を受けました。

眼科、耳鼻科、脳神経外科、内科、町医者から大きな病院まで。

しかし、その全てで異常はありませんでした。

(特に脳のMRIでは、「綺麗な脳ですね~!」と言われる始末。)

 

「原因不明」

 

・・・2004年7月・・・

 

かなり忙しいが充実していた時でした。初めての海外出張にも行きました。

大変なプロジェクトでしたが、なんとか受注に成功しました。 

その為、自分の中で焦りがどんどん増えていき、併せてその症状もどんどん増えていきました。

そんな中、妻に指摘されて行ってみました。

「心療内科」

あなたは自律神経が壊れている、いわゆる「うつ病」だと言われました。

「まさか。」

すぐに診断書が出されました。即日当面の自宅療養の指示。

自分自身、焦りました。クラクラしました。今まで順調に来ていた仕事と生活。

まだやらなきゃならない重要な業務もたくさん。

 

異動は希望をかなえてもらってやりたい仕事へ異動できました。

結婚をして、家庭を構えました。綺麗な社宅に入りました。車も結構なスポーツカーを手に入れていました。そして、なにより長女を授かりました。


仕事も上へ上へと野望を持って、大量の仕事をガンガンやっていました。

残業も休日出勤も構いませんでした。帰宅後、休日、家でも仕事をしました。

何かトラブルがあればあるほど燃えていました。

遊びでも、仕事の疲れを知らずに夜中になろうと交友関係を大切に、ガンガン遊びました。

でも、「健康」に対する意識がなさすぎました。

 

ナポレオンが3時間睡眠であれだけの活躍をできたんだ、私にできないわけがない。

気合と根性があれば健康は維持できる。 しかも、努力さえすればなんでもできる。

 

「理想の有名人はいますか?」 「いません、なぜなら自分の理想は何事にも完璧な人間だから。」

そう思っていました。

そこには、いつの間にか会社のブランド力=自分の価値と誤解し、プライドがイヤに高く、自信過剰で調子に乗っている自分がいました。


主たる直接の原因は、仕事に遊びに、休養と睡眠時間を極限まで削って何事にものめりこんだこと、常にエンジンをフル回転で生活をしていたこと。

これは、おそらく、学生時代までさかのぼるでしょう。

何事にも力を入れすぎでした。そししてストレスや疲れを心の奥へ押さえ込み、それらを感じることさえ鈍くなっていました。 (正直、感じていた記憶は全くありません。)

根がまじめでこだわりが強く几帳面、それでいて責任感が人一倍強く社交的、中途半端はキライで、120点を目指すような完璧主義者、そんな私の性格も要因の一つでしょう。

 

「これで、もうエリートコースを目指せない。」、始めは"転落"を感じて悔しくてしょうがありませんでした。

 

・・・2006年4月・・・

 

病気欠勤を繰り返すこと数度、それは最長半年、延べ1年余りに及びました。

休養で仕事ができない自分へのストレスで、十二指腸潰瘍と強度の胃炎になりました。

薬も一日に7種類22錠を飲まなければならなくなりました。

会社にはカウンセラーがいましたが、かなり会社寄りの人で、評判からも今考えても、カウンセラーとして相談できるような人ではなく、今後使えるか、使えないか、を会社に報告しているような感じでした。

少し症状が良くなって仕事に復帰できた時、うつ病の療養のため、職場が変わることになりました。私としては、企画職でなんとか復帰したかったのですが、もう何度も復帰に失敗しており、カウンセラーが現職への復帰を許可しませんでした。

もっと負担の軽い、バックオフィスへ。(いわゆるセオリーどおりの対処。)

が、この負担の軽さが私には(贅沢ですが、)なお、ストレスでした。

以前のように働けない、"転落"感をあおる職場異動。周囲から感じる同情と、よそ者の様な目。

 

・・・つづく・・・

プロフィール

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  • ウエムクサムライ
  • ’00年就職氷河期、最大手メーカーに就職、当時花形の環境プロジェクトを任される営業マンに。’03年、化学プロジェクトも含む企画職に異動、海外に案件も拡大し、より充実する毎日。 しかし!毎日”21時間営業中”という無理が祟り「うつ病」に。思わぬ病気で焦る私。病気は根深く復職と休職を繰り返し、結局退職へ追い込まれました。その後、大きく二転三転する生活に翻弄されながら、今日もほら、挑戦中!
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