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2010年1月アーカイブ

実家にいて何をすることもできず、考えていることと言えば「今この苦しい状況から解放されたい」ということばかりでした。休職も1年半を過ぎ、職を失うことも徐々に現実味を帯びてくる中で、もう生きていても仕方ないんじゃないかという思いが堂々巡りで襲ってきます。

 

現在日本では毎日約100人の人が自ら命を絶っています。人それぞれ理由はあるんでしょうけど、僕にとっての理由は「いつ終わるかわからない苦しみからもう逃げたい」だけでした。

 

ただ、なんと言いますか変に冷静な部分もありまして、人に迷惑をかけることはしたくなかったんです。だから駅のホームから通過電車に飛び込めば確実に死ねるだろうと思いつつ、電車のダイヤは乱れるし、電鉄会社から家族に損害賠償を求められたら困るだろうからやめて。高いビルからの飛び降りはちょうどそのとき通行人を巻き込んでしまう事件がニュースで報道されていて、それもやめ。

 

そういうときに夏目漱石の「こころ」を読みふけっていました。その時は追い詰められていて自殺することしか頭になかったんですね。

 

で、ある日。ついに自殺を決行しました。方法はそれまで処方されていた抗うつ剤や睡眠薬を泥酔状態で大量服薬することでした。どれだけ服用したのかはよくおぼえていませんが、200錠以上は確実に服用したと思います。

 

今、僕がこうして書いているんですから、死ななかったんですけどね。気がついたのは病院の集中治療室のベッドの上でした。

さて、復職に向けてのトレーニングに入ったはいいのですが、まず朝の通勤でくたびれてしまいます。そして業務補助という形で職場のデスクに座ってはいるものの、みんなが普通にこなせていることがほとんどできません。

 

自分はこうも無能な人間であったかと落ち込みました。毎日午後2時ごろには帰宅していましたが、帰りの電車の中で人目もはばからず忍び泣きしたことも数え切れません。

 

そのうちに自分は必要のない人間、価値のない人間だと思うようになりました。誰に相談もできず、月に2度の心療内科での診察でも自分の状況や心情をうまく説明できず、顔色がどんどん悪くなっていくのを見かねた主治医が、復職トレーニングの中断を指示しました。この時にほっとした気持ちもありましたが、多くはもう自分はだめなんだなという疎外感でした。

 

再び自宅療養の日々に戻ったわけですが、うつ病の本に「あせらず、ゆっくり休養して」と書かれていても眠れずに頭の中は堂々巡りの自責が続きましたから、心が休まることはありませんでした。

休職に突入した僕ですが、何をやっても楽しくない、おいしくないという日々に変わりはありませんでした。当初3ヶ月の予定だった休職も、病状の改善が見られないため、月々更新されます。どんどん自分が取り残されていくような気がしてなりませんでした。

 

しかし復職するときは休職前の職場でという規定があったため、その業務をこなす自信がとてもなく、職場に足を向けることもできませんでした。主治医の先生からは「仕事しなくてもいいから、ちょっと職場に顔を出すぐらいの気持ちで行ってみたら?」と勧められましたが、なかなかそのような気持ちにもなれません。

 

やがてほとんど引きこもりのような生活になってしまいました。これではいけないと思って散歩に出かけたり、図書館で本を読んだりしたこともありましたが、これらもあまりいい効果はなかったようです。今だから被害妄想だといえますが、平日の昼間にぶらぶらしていることにどうしょうもなく罪悪感を覚えてしまうのです。

 

やっぱりこのままじゃいけないと思い、職場に申し出て復職前のトレーニングをお願いしました。まずは出勤の電車に乗ること。軽い業務をお手伝いすることなどです。職場も僕のわがままを受け入れてくださり、協力してくれました。

3か月病休の診断書をいただいて、自宅療養となりましたが、全然休養になりませんでした。不安、不安でちっとも落ち着かない。なんにもしたくない。

 

普通健康な人であれば1週間ほどの休暇ならともかく、1か月も予定がなければなにか自分で動き出そうとします。別に仕事でなくても、旅行でもいいし、趣味でもいい。でも僕にはそれがありませんでした。ちょうどそのころ薬の副作用も強く出ていたので、主治医の先生によく相談していたのですが、先生の態度に不信感を持つようになっていました。こうなってしまうと効く薬も効かなくなってしまいます。

 

そこで大きな迷いはありましたが、周囲の勧めもあって通院する病院を変えました。知り合いの知り合いといったようなつてで大学教授からの紹介状をもらい、その先生が開業するクリニックに出向いたのです。おかげで薬の副作用はおさまりましたが、病休の期限が迫ってくると不眠はいよいよ深刻になり、些細なことにも不安を感じ、仕事どころか日常生活を営むにも支障をきたすようになりました。

 

結局3カ月で病状は好転せず、職場の規定により休職になりました。もちろん雇用する側としては働いてもいないのに給料を出し続けるわけにはいきません。しかし僕には新たに「経済的不安」がのしかかってくることになるのです。

みなさま新年明けましておめでとうございます。

 

毎週僕のうつ病の経緯を思い出しながら少しずつ書かせていただいていますが、今週はそれをちょっとお休みしまして、最近の僕はどのように過ごしているか報告いたします。

 

個人的に運営していますブログは毎日更新していますので、そちらをご覧の方は御存じかと思いますが、復職してはや一年が過ぎました。もちろん復職してすぐ以前と同じようにばりばり働けるわけがありません。仕事は忘れてる、と言うより休職前の部署が未経験職種だったため、一から再勉強でした。うちの職場は休職前と同じ部署に復帰しないといけないのです。

 

昨年夏ごろからようやく体調も安定して精神的にもゆとりが出てきましたが、秋に異動。職務内容は変わらないものの通勤時間が片道2時間を超えるようになりました。やっぱり異動当初は精神的に不安定ではありましたが、それも3週間ほどでどうにか落ち着き、ここしばらくは慌ただしくも一見うつ病患者とは思えないような生活を送っています。

 

家族関係では、不況のため母が勤めていたパートを辞めざるを得ず、自営業の父に仕事はあまりないうえに現在リウマチで入院中で、経済的にはたいへん苦しくなりました。まだ僕が扶養なり援助するという話はありませんが、近い将来具体的な話としてあがってくるものと思われます。けどその時はその時で考えればいいだけのことで、今からくよくよしても仕方ないかなと思っています。

 

新年早々暗いことは書きたくありませんでしたので(読みたくもないでしょう?)、小休止をはさみました。来週から続きを再開します。よろしくお願いします。

 

また僕は精神科医でありませんので、うつ病の方に的確な助言はできませんけど、経験談を書くことはできます。そこから何か一歩踏み出すきっかけをつかんでいただけたらこの上なくうれしいです。

プロフィール

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  • よしお
  • 僕はうつ病になって4年が過ぎました。2年半ほど休職し、その間ほとんど引きこもりでした。今は職場復帰しているものの、一人前に仕事をこなしているとはまだまだ言えません。周囲のサポートで何とか毎日過ごしています。うつ病は苦しいですよね。でも勇気を持って一歩踏み出せば完治はしなくても快方には向かいます。「こんな奴もいるんだ」と知っていただいて、今苦しんでる方やそのご家族の方の一助となれればうれしいです。
  • http://yoshio18.at.webry.info/
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